式・披露宴顛末記(2)

衣装について

何も考えずにブライダルフェアでの試着の流れでその時に来ていた衣装屋に依頼。
僕は背が高く、合う衣装があるのか若干心配だったがスーツのツープライスショップなどで既製品のぴったりしたスーツを選べる体型なら問題なさそうな印象。
どちらかというと衣装については彼女の方が主役なので、僕は衣装屋の担当者と殆ど接する機会がなかったのだけど、衣装選び中にスカーフ・アクセサリーなどをどんどん勧められるのにはまいった。こちらからその都度「それっておいくらですか?」と聞かないと値段を言ってくれないので。
また、見積金額を間違えられたことが何度かあった。費用の内訳は僕らの方でも細かく記録していたので事なきを得たのだけど。大丈夫かよ…と思ってしまった。
担当者との相性が良くなかったのか、それともその衣装屋の体質なのか、ここは善し悪しの判断がつけられなかった。

打合せ頻度・連絡手段について

僕は首都圏、彼女は青森に住んでいたのだけど、距離的な制約が準備に影響することは全くなかったと言える。会場の申込みから式当日までのおよそ半年、だいたい2ヶ月に一度は青森に帰省して、プランナーさんとの打合せはそのときにした程度。
細々としたやりとりは彼女にお願いしたり、電話とFAXと郵便で補うことでコミュニケーション不足に陥ることはなかった。僕らの場合、実家とも書類のやりとりが多くとにかく郵便とFAXをたくさんやりとりしたと思う。僕から送った郵便は基本的に速達しか使わなかった。FAXはたまたま僕が持っていたので「本当に急ぎのときはFAXでもいいですよ」とプランナーさんに伝えて、うまく活用してもらっていた。ついつい電子メールも使いたくなるけど、アナログな連絡手段も結構いいもんだなと思った。
2人揃ってのプランナーさんとの打合せの機会があまりなかったので、打合せ予定日前に先回りして必要な決め事や書類はとにかくがんばって準備した。

父親の病気について

ちょうど、去年の12月に式場の本申込みをしようかというタイミングで父親の食道癌が発覚し、医者からの病状説明があるまで全ての準備を止めた。母や姉、父親の兄弟からは「本人はあまり式に出たがっていないようだから気にしないでどんどん準備を進めればいいよ」と言われたのだけど、一旦様子を見るのが最善だと僕は思ったので。
その後2週間足らずで準備を再開したのだけど、父の出席の可否に関しては式の1ヶ月前くらいまで宙に浮いたままだった。幸い抗癌剤とその後の摘出手術が奏功し思いのほか経過が良かったので、父本人と担当医師に相談した上で出席を決めた。式場側には「父も頭数に入れておいてください」と事前にお願いしていたのだけど、出席が決まった時点で衣装については何も準備していなかったので、急いで父のモーニングの手配をした。
父の衣装選びは、母にお願いしてスリーサイズと股上・股下・裄丈を測ってもらい、それを衣装屋に伝えることで父がお店に出向くことなく手配することが出来た。また、衣装屋の配慮で微妙なサイズ違いのモーニングを2着準備してもらい、式当日にぴったりした方を着せてもらえることになった。
手術のあと、食道を摘出して胃をもちあげたため食は細くなっていたものの、医者からは何でも食べていいと言われていたので、プランナーさんへは食事の配慮は不要の旨を伝えた。また入院生活を経てやや体力が落ちていたので、控室に横になれるようなスペースを準備してもらうようお願いした。